カテゴリ:THEATRE( 7 )

第41回全国高等学校総合文化祭/

第63回全国高等学校演劇大会

みやぎ総文2017 演劇
8月1日〜3日@仙台銀行ホール イズミティ21
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 2005年八戸大会から8月頭は全国大会だから12年目。2007年の島根に伺えなかったのは悔恨。 さて、今年も仙台で12本の高校演劇作品を観劇した。備忘のため感想を記す。昨年の広島大会のときも書いたが、今大会の審査員ではないのでこれらは講評ではない。いわゆる劇評でもない。演劇部のみなさん、顧問の先生、関わった高校演劇関係者に伝えたいメッセージを含んだ感想文である。
 ここで上演した12校は、ここで上演できなかった全国の演劇部の代表である。それぞれがそれぞれの作品を作って観せてくださったことへの感謝、全国大会という場で上演できたことへのお祝い、そして、これからも演劇を好きでいて欲しいという願いを込めて、私もじっくり12本に向き合ったつもりである。おつかれさまでした。それぞれに色も思いも違う、すばらしい作品を観劇できて幸せでした。
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●上演1 
千葉県立八千代高等学校「煙が目にしみる」作:堤泰之

 ほのぼのと暖かい気持ちになる。同年代の、それも10代の俳優しかいない高校演劇の世界で、家族の死をほのぼのと描くというのは、実は難易度の高い作業である。おばあちゃんやお父さんやお母さんを演じるとき、どう老けようかではなく、その人物がどんなキャラクターなのかに重きを置いて演じたのがよかった。中年のおやじらしさは、中年の俳優にはかなわない。年齢のリアリティよりも、その役柄の、キャラクターのらしさが魅力的であった。そして、それは脚本の理解であり、戯曲に書かれている世界を観客にしっかりと提示することでもある。


●上演2
埼玉県立秩父農工科学高等学校『流星ピリオド』作:コイケユタカ

 難しい芝居である。バーチャルで見えているように思えることは、現実世界で見えていることとは違う。だが、芝居としては、見えていることが芝居上のリアルであり、どう見せるかが演出である。SNSのリアルとは何か? 演劇のリアルとは何か? 高校生のリアルとは何か? たくさん投げかけられて、たくさん考え続けていた。が、『流星ピリオド』という美しいタイトルと、衝撃的なラストシーンで、プツっと電源を切られるようにカットアウトされてしまった。ピリオドなのか、そうか、ピリオドなのだ。答えはまだ得ていない。私は見事に術中にはまり、SNSの蜘蛛の巣の中にとらわれている。

追記
ラインをやる、やらないでこの芝居の理解度が変わるのかどうか、とても興味がある。私は、一応、ラインやります。一応、のレベルですね。できないことの方が多いし、メールよりラインが怖いです。でも、メールしない人は電話よりメールが怖かったろうし、電話ができたばかりの時代の人は、手紙より電話は怖かったろうし・・・。



●上演3
徳島市立高等学校「どうしても縦の蝶々結び」作:林彩音・村端賢志

 高校生気分が抜けていないと劇中で怒られる高橋は、この春に卒業した学校事務の臨時職員。現役高校生ではない。舞台として設定されているのは、教室でも部室でも職員室でもなく、事務室。回想シーンをのぞけば、大人ばかりが会話している。敢えて「高校っぽくない」アイテムを並べて、しかし、そこに「高校生活」や「高校時代の夢」や「高校生だったときの感情」を浮かび上がらせるその手腕は恐ろしいほど巧みだ。
 自分がなぜ学校事務職員という現在の職業についたのか、事務室にいる三人の先輩が決して語らないこともまたすばらしい。観客は、三人の人生を押し付けられるのではなく、ただ感じる。三人もまた高校生だった時代があったことを想像する。もはや高校生ではない観客の一人である私は、かつて自分が高校生だった頃、どんな夢を抱いていたのか、どんな理由で挫折したのか、そういうことを考えなくなっている自分と対峙する。今、高校生である観客には、高校生という身分が夢見ることを許されている幸福な時代であると、ポンと提示される。その幸福を享受できる時間に限りがあることも、享受できない環境にある人間が存在することも、決して押しつけがましく主張しない。
 ある圧倒的な美意識に貫かれた緻密な作品である。そして、私はその美意識に魅了された。たとえば、タイトル。「どうしても縦結び」ではなく、「どうしても縦の蝶々結び」であること。このタイトルに飛んでいる蝶々の存在意義は計り知れない。

追記
私が観劇した下手後方は、ちょうどキッチン隠しの衝立と一直線の位置だった。下手側の扉を開いて引き戸の奥での演技したシーンは、俳優が見えなかった。丹念にリアリティを追求したすばらしいセットだっただけに残念。


●上演4
宮城県名取北高等学校「ストレンジスノウ」作:安保健

 お礼を申し上げなければならないと勝手に感じている。表現の中で最も辛い部分、最もしんどい部分を黙って担ってくださっている。震災を描くときに、作り手の精神的負担がもう少し軽い道もあるだろう。だが、安保先生と名取北演劇部は、常に一番辛い道を、一番大きくて重い荷物を運びながら先頭を切って進んでくださる。仙台大会の開催県代表という立場で、津波で大切な人を亡くし、それでも生きていかなければならない人々とその終わらない悲しみから目をそらすことなく、悲しみに寄り添い、いや、寄り添うどころか、悲しみに取り込まれるほどのめり込んで、直球で表現してくださった。口当たりのいい芝居だけが、演劇ではない。楽しい芝居だけが、高校演劇ではない。時には重い石を持ち上げ、必死に投げる必要だってあるのだ。ありがとうございました。


●上演5
茨城県立日立第一高等学校『白紙提出』作:磯前千春
 
 実に魅力的な登場人物たち。オープニングのダンスの上手さがまた、観客をがっちり掴む。話が進むにつれてわかる全員のバレエの素養、これは、ナチュラルな会話や笑いをとる動きの間の良さにつながっているのかも。主人公・紘生の男友達・結人を演じていたのが女子部員であることも、あとでパンフレットを確認するまで気づかないほど、素晴らしいナチュラルさ。他の俳優たちのキャラも面白い。いいカードが揃っている。だからこそ、キーワードのように繰り返される「気持ち悪っ!」が気になる。女装が好きというのは気持ち悪いことなのか? 男子は女子を、女子は男子を好きじゃないと普通じゃないのか? 紘生がそれに悩むという設定で始めたとしても、多様な価値感をぶつけていくことでコメディがもっと面白くなり、芝居が深くなるのではないのか?
 「女装って「気持ち悪っ!」なの?」という初期段階でつまずいた私は、紘生の悩みが何なのかよくわからなかった。自分のピークが中学校の文化祭で来てしまって、そのあとアイデンティティを見つけられない話なのか? あれだけ踊りがうまくて、踊りで賞賛されたなら、女装云々より、踊りを続けていないということの方が大きな問題なのではないのか? 両親をトランスジェンダーで描く(単に三役を一人で演じるということの結果?)なら、紘生の悩みは芝居の中でそことつながらなくていいのか? ああいうご両親なら悩む必要ないのではないかと思ってしまったり。
 劇中、スカートではなく、ジーパン姿で踊る紘生が本当にカッコよかったのである。いきなりニジンスキーかよ! みたいな。別に小難しいジェンダー論を展開して欲しいと思っている訳ではない。もっと自由に考えて欲しかったのである。全員が生き生き踊る姿をもっと観たかったのである。狭い常識にとらわれて「気持ち悪っ!」と思考を停止していしまうことこそ、「気持ち悪っ!」と思う。演劇はとことん自由であって欲しい。



●上演6
沖縄県立向陽高等学校「HANABI」作:竜史「文化祭大作戦」より潤色:吉澤信吾

 『ロミオとジュリエット』の無限の可能性について、強く考えさせられた。そう、問題はロミジュリ。
 ここで描かれる高校生の日常生活はキラキラしている。溌剌としている。体制なんかに屈しない、大人のいうことなんか聞かないあの前半のパワーを、劇中劇『ロミジュリ』で倍増させて欲しかった。シェイクスピアをジャンピングボードに、もっともっと爆発して欲しかった。シェイクスピアは江戸時代バージョンごときで動じない。坪内逍遥訳だってあるし、前例のない演出なんかないくらいたくさんの人々が様々な演出を試みている。ラストシーンを悲劇的に描くか喜劇的にするかもたいした問題ではない。「ある程度」でまとめるのではなく、どうしてたら「この程度」を越えていけるか、とことんやって欲しいのだ。失速せずに、どこまでも!


●上演7
明誠学院高等学校(岡山)「警備員 林安男の夏」作:螺子頭斬蔵

 世代を越えた二人の男子の友情物語として観ると、すっと入って来る。友情なんて一言もいっていないけれど、孤独な二人のコミュニケーションが成立していく様はうれしくなる。
 55歳男性・林安男(妻と娘がいる)の物語として設定どおりに考えるなら、地縛霊を林安男のドッペルゲンガーとして描けないかと、妄想しながら観劇した。もっと他の描き方があるのでは?とか、もっと演出をこうしたいとか、表現欲を刺激する不思議な作品である。

追記
季刊高校演劇に掲載されている舞台写真がとてつもなく魅力的。ブロック大会まで写真のようなシンプルな舞台美術だったのだろうか? 以前の美術で拝見したかった。


●上演8
福島県立相馬農業高等学校飯館校『-サテライト仮想劇-いつか、その日に、』作:矢野青史

 東北大会に続いて二度目の観劇。最初に拝見したときよりも腑に落ちた。ズドンと来た。最初に作品の弱さだと感じたことが、こうでなくてはならない無骨な力強さだとわかった。創り手たちは「理不尽な現実」に怒っているのだ。アピールしたいメッセージなどない。だから、声高に叫ぶことなく、静かに怒り続けているのだ。だって、理不尽だから。あまりに理不尽だから。
 登場人物であるハルカ、サトル、ユキは、サテライト校が元の村に帰還することにより転校せざるを得ない。でも、彼らは「サテライト校の帰還」に怒っているのではない。そもそも、サテライト校が生まれなければならない状況が理不尽なのだ。中学までの自分をリセットするために頑張ってきた場所が、いきなり奪われるという理不尽は、生まれ育ったふるさとにいきなり住めなくなるという理不尽と同根だ。このまま続くはずだった生活が、自分と関係のない理由で終了してしまう理不尽さの前に、彼らは、いや我々は、あまりに無力なのである。
 観客と、この静かな怒りを共有するーその目的を達成するために、『-サテライト仮想劇-いつか、その日に、』はとにかくシンプルに、力強い表現を追求する。「拙い」と誤解されることを恐れずに、まっすぐな表現だけを丹念に選んでいる。だからこそ、ユキが笛で吹くゆがんだ「ふるさと」の音色とともに、セリフのひとつひとつが観客にしっかり届く。
 幕が降りるとき、この芝居がドキュメンタリーではなく「仮想劇」であることに一瞬ほっとし、しかし、すぐに、他のサテライト校のことを、飯館校の未来を、この世のすべてのどうすることもできない理不尽を思った。

追記
1、東北大会上演時、四つのライトで区切られたエリアは客席に正対していたと記憶する。全国大会では、少し上手奥に振っていて、その変更によるミザンス、俳優のやりとりの変化が大正解だったと思う。
2、東北大会のときは、他の地域の人たちに、福島の変わらない現実を知って欲しいと思った。知ってもらうために上演を続けて欲しい作品だと考えた。全国大会を拝見して、それはもちろんだが、仮想劇だからこそ、福島以外の学校で上演が可能であり、演出もどんどん変えて全国各地で上演したら良いのにとも思った。



●上演9
兵庫県立東播磨高等学校『アルプススタンドのはしの方』作:籔博晶
 
 四人芝居である。だが、青春群像劇だ! 舞台上にいる四人以外の、登場しない登場人物の姿形がその表情まで見えてくる!! 熱い青春とかちょっと勘弁な感じの四人が、野球の応援をしながらおしゃべりしているだけなのに、それがしっかり青春ドラマになっている!!! 「青春っぽさ」を揶揄しながら、最終的に青春を肯定する若さが眩しい!!!! 感想を書くときにも、思わず、エクスクラメーションマークなんかつけたくなるような芝居なのである!!!!!!
 会話の面白さもさることながら、たった四人で甲子園球場の野球観戦を描いてしまうダイナミックさと、不在の人物を描くための情報をいつどんなふうに出していくかの筆致の緻密さが、実に魅力的に混じり合っている。挫折と友情とチャレンジの話なのに、ちっともクサくない。高校演劇と高校野球のカップリングは、もうやり尽くしてしまったかと思いきや、こんなチャーミングな作品が生まれるとは。うれしい驚きである。
 観終わったときに、四人を、登場しない人物も含めて、登場人物全員を好きになっていた。この夏の出会い。作品とも!彼らとも!



●上演10
岐阜県立加納高等学校「彼の子、朝を知る。」作:白梅かのこ

 戦争の気配を常に感じさせるイメージ連鎖の不条理劇、だと思った。わかりやすさに逃げず、表現したいイメージにとことんこだわっている姿勢に打たれる、とか、思った。ところが、脚本を読んでだら、わかりにくいところはちっともなくて、逆にびっくりした。イメージがすっきりまっすぐ伝わってくる、魅力的なテキスト。のびのびとしている。実に自由だ。舞台よりテキストの方が自由な印象なのは、なぜだろう? 舞台美術のチョイス、中央にどーんと置かれた櫓の圧迫感のせいだろうか? セリフのスピード? もっと軽やかに演出したら、この戯曲はもっともっと伝わるるのではないだろうか。「#7 私たちは、つながっている、」は、この作品の白眉。
 「戦争は遠いのか? 否。」その強いメッセージを直球で投げることなく、イメージの断片を積み重ねて、観客の心の中にひたひたと沈殿させていくような作品。出会うことができてよかった。




●上演11
北海道北見緑陵高等学校『学校でなにやってんの』作:北見緑陵高校演劇部

 最初にごめんなさい。まさかの3分遅刻で、ロビーのモニターで観劇しました。だから、会場でドッカンドッカン受けている様子をモニターで見つつ、その空気に一緒に包まれることができなかったのです。悔しすぎる。まさに「全国大会でなにやってんの」です。本当にごめんなさい。だから、この感想文は、モニター観劇と、あとで戯曲を拝読してものです。

 主人公である放送部部長・山田の魅力が圧倒的。ひたむきさと前向きさ、そして、時に明るすぎるテンションに寂しさが見え隠れする。疾風怒濤の転換が楽しみで、どんどんやれやれ、もっとやれと応援したくなる。
 さて、山田が最後一人になってもう一度編集に取り組むところ。「みんなでやる」「一緒にやる」ってなんだろうって、私自身もずっと考えていた。インタビュアーであって、本音を語っていない山田の本音はこの芝居でどんな風に語られるのか? そこが見たかった。彼女が一人になってから、どんな声と共演するのか、そして、彼女は兄を語るのか? 後半10分、妄想が膨らんで・・・モニター観劇だからか。ごめんなさい。



●上演12
埼玉県立新座柳瀬高等学校『Love&Chance!』原作:ピエール・ド・マリヴォー 翻案:稲葉智己

 まさか、マリヴォーの『愛と偶然の戯れ』を全国大会で観られるとは。うれしい驚きである。古典に取り組む演劇部は本当に少なく、それが全国大会まで進むというのもすごい確率だろう。演劇の幅広さを享受することができて、観客はラッキーである。
 評価すべきは、単に古典に取り組んだということではなく、新座柳瀬高校演劇部流のラブコメとして、他校とは一線を画すひとつのジャンルをしっかり創り上げていることである。宝塚的な背筋の伸びたかわいらしさ、アニメ世界の現代的なわかりやすさはひとつの個性である。もともとマリヴォーの描く女性が現代的である点も寄与しているが、メイン4人の恋人たちが全員女性というキャスティングのせいだろうか? ゆるやかなフェミニズムがベースに感じられて、古典の人物描写でときおり感じる違和感がないのも良い。違う演目を演じたら、その世界もきっちり魅せてくれるのだろうと思わせる演劇的実力を十分に感じさせてくれた。

追記
生徒講評委員会に、衣装を着た部員がやってきて、急遽、写真撮影会となったのを偶然観た。大人気! わかる!





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by nabegen-usagian | 2017-09-01 22:05 | THEATRE

一人芝居を書く

 これまで3本の一人芝居を書いている。潤色・演出作品も入れると4本。
『わたしの弔辞』(高校演劇用脚本)
『Noodles』(出演:近藤強)
『永い接吻』(出演:天明留理子)
『ひろさきのあゆみ〜一人芝居版』(作:柴幸男、潤色:畑澤聖悟、一人芝居版構成・演出:工藤千夏)

 一人芝居で演じる俳優は、舞台の上で孤独である。本来であれば、出演者総力をあげて虚構を作り上げ、観客と共有するところ、照明や音響のフォローはあっても、孤軍奮闘しなければならない。でも、その舞台に、確かに、そこにいないはずの相手役が見えてくるのだ。しっかりと。不在の存在感。一人芝はそこが難しくて、面白い。


東青・下北地区高等学校演劇合同発表会
2011年9月@青森明の星高等学校 明の星ホール(青森)
 『わたしの弔辞』はコンクールに一人しか出演できないという事情を考慮して、女子部員が一人で観客(弔問客)に語るという設定。地区大会で一度だけ上演されて、写真もないので、ほぼ幻の作品。



『ひろさきのあゆみ〜一人芝居版』
出演:音喜多咲子 
※青森公演は音喜多咲子と工藤由佳子出演の2バージョン、東京公演@ザ・スズナリでは工藤由佳子出演
作:柴幸男、潤色:畑澤聖悟、一人芝居版構成・演出:工藤千夏
2013年4月@アトリエ・グリーンパーク(青盛)
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 『ひろさきのあゆみ〜一人芝居版』は、渡辺源四郎商店の「オトナの高校演劇祭」という企画で、多田淳之介が演出する『修学旅行~TJ-REMIX Ver.』(作:畑澤聖悟)と、『河童~はたらく女の人編』(畑澤聖悟本人が高校演劇版をオトナの俳優が演じるために改変)との三本立ての一本。
 柴幸男作・演出の『あゆみ』は、基本的に多人数の俳優が役柄を固定しないでいくつもの役を演じるというのがミソ。そこを敢えて、一人で全部やるという逆転の発想。戯曲にフォーカスする上でなかなかいい企画だと思うのだが、おそらく私が演出した作品の中で一番賛否両論が多かったように思う。俳優たちが上手から下手にスクロールで歩かなければ『あゆみ』の良さは出ない、という意見を頂戴した。『あゆみ』という戯曲のすばらしさは多人数で演じるという部分ではないと思うのだが。


『Noodles』
出演:近藤強(青年団)
作・演出:工藤千夏
2014年5月@ザ・スズナリ(東京)
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 『Noodles』は、英語が堪能な俳優・近藤強さんに宛て書きで、英語の話せない日本人と、日本語の話せないアメリカ人の間に立っている主人公が、ずっと通訳をしている一人芝居。ニューヨークが舞台なのに、落語が重要なモチーフ。英語と落語の組み合わせ、なかなかオツである。ちなみに、マンハッタンのチャイナタウンとリトルイタリーのせめぎ合う地区に日本人が蕎麦屋を作ろうとする話。

 
『永い接吻』
出演:天明留理子(青年団)
作・演出:工藤千夏
2017年6月@ゆうど(東京)
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 作・演出のこだわりとしては、本人の音声録音による出演をせず、とにかく、その場で全部やりきるということ。「てんらんかい」というユニットを立ち上げた天明留理子(青年団)が、長年取り組んでいる講談と二本立てで公演を打つというので、打ち合わせをしているうちに、このひとり芝居にも講談を取り込んでいくことにした。そうしているうちに、「講談」がものすごく重要なモチーフとなった。これも宛て書きである。
 とにかくミニマムに作った、俳優の天明留理子が一人行けば(私も行きたいけれど、行くけれど)、どこでもできる、天明留理子神出鬼没ツアーを長くやれたらいいと思っている。とりあえず、100回公演が目標。
 写真は「てんらんかい」のとき。目白のゆうどという古民家ギャラリーで、借景芝居のように作った。7月16日、17日の青森公演ではブラックボックスの舞台で行う。ますます孤軍奮闘度が高まるが、観客はどこにでも、どこまででも飛んでいけると信じている。

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by nabegen-usagian | 2017-07-01 16:39 | THEATRE
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 第9回となるこの高校演劇山梨オープン小劇場祭、これまでタイミングが合わず、実は伺うのは初めて。『マナちゃんの真夜中の約束・イン・ブルー』のマナちゃんこと那須愛美さんが聞き手という、なんとも豪華な幕間トークをさせていただいた。あとで思ったこともいろいろあるので、ブログでも。

 まず、競技であるコンクール上演と、競技ではないフェスティバル上演の両方の機会があることが、演劇をやっている高校生にとってとても贅沢で素敵なことだと改めて思った。理由はいくつもある。演じる機会が一回でも多い方がいいから。時間を置いて上演するために、その芝居に向き合い直すという稽古がとても大事だから。あるいは、全く違う芝居に取り組むチャンスにもなるから。大劇場と小劇場の両方で演じてみると、その違いはとても面白いから。観客を迎えるという経験が大会とは違う経験だから。

 では、上演された作品について。講評ではなく、感想です。


山梨県立甲府南高等学校『歩き続けてときどき止まる』
作:中村勉
演出:山岸優希 石原尚子

 この作品が観たくて、山梨行きを決めた。見応え十分。中村勉ワールド全開。
 「思考」について考える。歩きながらなにかを考えていると、考えはつながっているけれど論理的な思考とはちょっと違う。しりとりしているみたいに、イメージがころがっていく。ときどき途切れたり、飛んだり。そんな感じでシーンが流れていく。コミュ障の相談の中で、「会話は続けば中身なんかどうでもいい」という話が出てくる。本当にそう思っているようでもあり、ちっともそうは考えていないようもでもある。淡々と続いていく会話は逆説的にも響き、観客は迷路を進むようにゆっくり手探りで歩んでいく。低体温の、決して熱くならない高校生たち。つながって、ころがって、さらさら流れていく時間。語る「わたし」も、ころがって、変わっていく。芝居も、芝居の中の彼らも、まさに歩き続けている。
 私はたゆたうような、構成を感じさせない流れるような構成のこの芝居が好きなのだけれど、三好達治の詩以外に、もう1本なにかしら補線を引いてあげたら、そのたゆたいを楽しめる観客の数が増えるだろうか?



山梨県北杜市立甲陵高等学校『ナイゲン』
作:冨坂友(アガリスクエンターテイメント)
潤色:入山実と甲陵高校演劇部
演出:波多野伶奈

 開演直前に当パンフレットを開いて、あれ、アガリスクエンターテインメントってどこで聞いたんだっけ・・・と、気になりつつ、幕間トークのときにはわからなかった。勉強不足を恥じる。
 なので、「元々の作品では、大人が高校生を演じていた」ことを知らずに、観劇の最中には『七人の部長』や『生徒総会』と比べていた。本当は、その比較は間違っているのだと思う。

 潤色作品を講評するとき、本当はどんなエッセンスを抽出したかを判断の基準にしたい。だが、元の戯曲に触れたことがない場合は、目の前で繰り広げられている世界でしか判断できない。そして、あらゆる芝居に精通していることなんか不可能なのだから、結局、今ここで観ている芝居についてしか論じられない。その限界と矛盾。「等身大高校生の青春もの」として高校生が演じる芝居と、大人が敢えて「高校生を演じる」芝居は違うはずなのだが。

 今回の『ナイゲン』は、高校生が高校生役を演じている。元の戯曲にあったはずのもっとねじ曲がった部分や、大人が演じることによってカリカチュアされたはずの部分が、すなおに、きれいになってしまったのではないだろうか。しかし、それは私の想像でしかない。文化祭をクローズではなくオープンで行うために、学校から(体制側)から押しつけられた条件をのむか、のまないかというストーリーは、エンタメ志向の大人が演じたときにどの程度重要だったのだろうか? トークでも話した、「ここで描かれている高校生の恋愛はリアルではないのでは?」という私の違和感は、大人目線の脚本だからだったのか?

 いずれ、私のこんな考えすぎの感想や、そもそもの戯曲の意図など超えたところで、高校生パワーが爆発することが上演の成功の鍵だと思う。スクエアに会議机で囲んだ会議のしつらえがぶっ飛ぶくらい、もっと熱く、もっと騒がしく、すべてを笑い飛ばすパワーでまた上演して欲しい。
 


都立世田谷総合高校『生徒指導‘17』
作:せたそー演劇部+岡崎恵介

 カーンと終わった。40分、あっという間の面白さ。年齢の違わない高校生が教員も高校生も演じることによって、人間のみにくい部分やだめな部分は同じなんだ感がぐっと強まる。舞台美術の散らかった紙のような、ストレスが積み重なった日常。それでも踊る。それでも生きる。
 大人の描きかたはまだまだ甘いのか。もっとドロドロした人間関係が欲しくなる。(そんなドロドロ好きではないのだけれど、この芝居では、そこがもっと観たくなる)いわゆる教育的ではない展開。もっとやれ、どんどんやれ、と、思う。
 ちなみに、2016年12月の東北大会では、小名浜高校の『遭難、』(作・本谷有希子 潤色・安井宏)の上演があった。高校演劇の世界、皆が思っている以上に挑戦的だ。



山梨県立甲府南高等学校『二万年の休暇、その終わり』
作:中村勉
演出:田中里歩
 
 改めて、いい作品だなぁ。夏休みは、始まる前から終わりを感じさせる。あんなに長かったはずなのに、必ず、夏の終わりが待っている。人生みたいだなぁ。
 「さよなら、また会お」の歌、今も私の中でリフレインされている。

 
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 半日で4本。リップサービスなしでどれも面白く、とてつもなく充実した小劇場祭であった。3月は、全国各地で演劇部自主公演やフェスティバルが行われている。同日(前日も)、青森の渡辺源四郎商店2回稽古場で「中学生・高校生のための高校演劇見本市Ⅳ」が開催されていて、青森中央高校演劇部による『マナちゃんの真夜中の約束・イン・ブルー』(作:中村勉)も上演されていた。北海道北見では、新井繁先生の演劇集団玉葱倶楽部第9回公演「千里だって走っちゃう」も上演されていた。体がいくつあっても足りない。
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by nabegen-usagian | 2017-03-29 16:12 | THEATRE

SARP vol.12 『くちきかん』

ゲネ写真と備忘メモで振り返ります。

SARP vol.12『くちきかん』
【作・演出】工藤千夏
【出演】 松田諭人 青田夏海 氏原恭子 池瑞樹 伊藤快成 高橋なつみ 谷口継夏 橋本潤 鉢峯輝敏 竹葉香里 西原侑呂
2017年2月5日〜10日@ノトススタジオ
【主催】四国学院大学

<トークゲスト>
5日=黒瀬貴之(広島市立沼田高校演劇部顧問/中国高等学校演劇協議会理事)
6日=西村和宏(ノトススタジオ芸術監督)
7日=新谷政徳(高松桜井高校演劇同好会顧問)
8日=中桐康介(西日本放送アナウンサー)


四国学院大学 アーティスト・イン・レジデンス プログラム(通称SARP/サープ)とは、四国学院大学の身体表現と舞台芸術マネジメント・メジャーが主体となって制作する公演の名称です。毎回プロの演出家・振付家が大学内の宿泊施設に1ヶ月以上滞在し、学生キャスト・スタッフとともに一般観客の鑑賞に耐えうるレベルの高い舞台作品を創作し上演することを目指します。
_______________________________________________

<戯曲と演出について>
 戯曲『くちきかん』では、劇作家、小説家、エッセイスト、名編集者、映画プロデューサー、政治家として多方面に才能を発揮したマルチクリエイターにしてメディア王の菊池寛の生き方や、戦時下・戦後の彼の発言を通して現代の日本を描こうと考えた。「センテンススプリング」に代表される現代のメディアが「くちきかん」氏を取材していくという枠組で、評伝劇ではなく、不条理テイストの現代劇として描く。

 主な役柄は、くちきかんサイドとメディアサイドの2陣営。くちきかんサイドは、くちきかん本人、愛人、妻、親友アクタガワ、親友ナオキ、友人クメ、マント事件当時の恋人サノ。くちきかん本人は、敗戦時に何を考えていたかのエッセイを読むクライマックスまで一言も口をきかない必要があるので、いろいろ説明することができる若いときのクチキくんも登場させる。
 くちきかんを取材するメディアサイドとして、現代の報道の姿勢に疑問を抱いているジャーナリストを一人設定。彼の職場の上司である編集長、彼の先輩記者はメディアのあり方に疑問を持たず、理想に燃えるが故にうまく取材できない彼を歯がゆく思っている。メインの役柄を演じていないシーンでは、全員がメディア側としてくちきかんを取材したり、糾弾したりする。

 また、最も重要なのは、登場人物に明記されていない「大衆」である。俳優たちが実際に大衆を演じるシーンは二つ。くちきかんの講演の一言一句に熱狂する徴収(その講演で語られる言葉は聴衆役の人々が発する)と、クライマックスで「くちきかん役を演じる学生・松田諭人」が敗戦時の菊池寛のエッセイを読み上げるくだりで、学生たちは「松田」の話を聞かずにカラオケに興じるシーンのみ。くちきかんが見据えている大衆、現代のメディアが常に意識している大衆は、この『くちきかん』という芝居を観ている観客が、自分もその一員だと感じてくだされば成功である。

 取材する側の「人間・くちきかん」に対する興味がストーリーをひっぱり、観客の興味の軸となる。くちきかんの人物設定、発言、エピソードはすべて資料にあたり、菊池寛本人のものを用いた。エピソードに事欠かない人物で、芝居に登場させることができなかった話もまだまだたくさんある。

 『くちきかん』は、四国学院大学でパフォーミングアーツを学ぶ学生たちと共に創る、2017年2月でなければ生まれない芝居を目指した。だから、一番流行っている(つまり、流行遅れになる運命を抱えている)音楽とダンスを躊躇することなく導入し、「ここはノトススタジオですが、それが何か?」と開き直ってパイプ椅子以外の舞台美術を排し、ノトススタジオのレンガの壁を強調した。演技者として発展途上の学生が演じるからというエクスキューズではなく、四国学院大学の学生が演じているというメタが重要だと考えて、自分の名前を名乗って菊池寛についてスピーチする(テキストは本人が書いたものではない)シーンを作った。そして、授業の一コマみたいな一見退屈なシーンから、くちきかん役の俳優が芝居が始まってから初めて口をきき、クライマックスの演説に持っていくという流れを作った。

 観終わったら、菊池寛と演劇がきっと好きになる。

 宣伝コピーにそう書いたけれど、お客さまより誰より、創り終わった私自身が、菊池寛と演劇がますます好きになった。菊池寛の実際のエピソードを置き換えて、二十歳前後のがむしゃらな俳優たちとシーンを作っていく作業は、本当に楽しかった。菊池寛が二十歳だった頃、何を考えていたのかに思いを巡らした。自分が二十歳の頃、何に夢中だったのか何にイライラしていたのか思い出した。芥川や直木のような文豪も、メディア王である菊池寛本人も、メディア王の周りの人々も、つまり、昔の人も今の大人も、誰もが二十歳の頃は若かったのだ。みんなキラキラしていた。今まさに二十歳の彼らみたいに。だから、この芝居自体もキラキラ輝いていなければならない。

 善通寺まで観に来てくださったお客様、サポートしてくださったアドバイザーの西山和宏氏、小島塁氏、カミイケタクヤ氏、このような機会をくださった四国学院大学、そして、一緒に芝居を創ってくれたキャストとスタッフに心から感謝します。

 舞台写真は、ゲネ時に四国学院大学のカロル・ドナルド教授が撮影してくださいました。ありがとうございました。
_______________________________________________

0場。開場後開演前の時間。俳優はフリートークで『父帰る』の銅像の真似や、『父帰る』について知っていること、知らなかったことなど雑談。菊池寛をモチーフにした演劇世界へのゆるやかな導入。
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0場の最後はプロローグのダンスの立ち位置へ。ゆるやかに準備して、雑談の続きの泣きのポーズから、いきなり踊り始められるように。
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音楽とともに、いきなりキレッキレのキラッキラで、恋ダンス! 楽しい。踊っていて楽しいのがビンビン伝わるように。
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曲が終わる。くちきかんが一歩踏み出すと、いきなり取材陣に囲まれる。熱愛発覚。しかし、当然ながら、くちきかんはノーコメント。何もしゃべらない。
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取材陣は、愛人小夜子を見つけてインタビュー。小夜子という名は、菊池寛の愛人騒動時に菊池寛が中央公論社に寄せた抗議の手紙を、中央公論社が勝手に掲載した『僕と「小夜子」の関係』から。小夜子「事務所通してくださーい」
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取材陣は、さらにくちきかんの妻カネコの元へ。取材中のハチミネ記者は、カネコ夫人の神対応に感動。一方小夜子は独占手記を発表。今回は基本的に縦長に舞台を使うのだが、取材陣が取材対象を追いかけ回すこのシーンはノトススタジオを素舞台で使用する際の縦長感を堪能。
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編集部に戻って、人間の本質も社会もメディアも何もわかっていないとアオタ編集長とイケ先輩に説教されるハチミネ記者。上手、下手脇に座っている俳優たちも出版社で働く人々や、ハチミネ記者が説明するシーンの再現等を演じ続ける。
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くちきかんの徹底取材をとりつけたハチミネ記者は、その生い立ちから追おうと、若き日のくちきかんにインタビューを始める。若き日のくちきかんの登場は、あの音楽とともに「ヒロシです」。
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本質に迫ることのできないハチミネ記者はおろされ、代わりにイケ先輩記者が、一高時代の「マント事件」について取材を進める。このシーンで、時空のねじれを簡単に説明しつつ、芥川龍之介、直木三十五との友情にも触れる。いわば「くちきかん〜青春篇〜」である。「マント事件」は、菊池寛が友人サノの罪(別の学生のマントを勝手に質屋に入れる)を被って、卒業直前に学校を退学した事件。
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くちきかんの実家の経済状態が「マント事件」や人格形成全般に深く関わっているというハチミネ記者の仮説から、縁日のエピソードへ。冗談でとんでもなく安くねぎったら、その金額で売ると言われ、そのねぎった金額さえも持っていなかったという実話。次の幻想シーンにつながるよう、リアルな縁日ではなく、くちきかんが得意の英語を使う不思議な市場の風景。
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縁日で店主に追いかけられる若き日のくちきかんに追いかけられる、成人してからのくちきかん。成人してからもずっとトラウマに追いかけられるている悪夢のようなシーン。俳優たちは、自分のお金の使い方や貸し方に関わる菊池寛の実際のコメントを発する。稽古時にはこのシーンを「カフカ」と呼んでいた。
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悪夢から覚めたくちきかんの成功と幸福を描くシーン。マスコミが家族写真や、芥川や直木との座談会のためにくちき家を訪れ、くちきかん以外の人々の会話によって、撮影の中で業績やカネコ夫人とのなれそめが語られる。ラスト近くにも登場するくちきかんの長女、長男の子供時代でもある。
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くちきかんの成功を描くシーンその2。くちきかんの戦前の講演会。熱狂する聴衆役の俳優が菊池寛の講演のテキストを発する。講演内容は非常にリベラルである。
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講演会終わりの雑踏。ハチミネ記者は他の男と歩いている小夜子に偶然出会い、インタビューを申し込む。別れた男のどんなところを愛していたのかを質問され、イライラする小夜子。
小夜子「終わり。もういいよね。(今の恋人の方へ)おまたせ」
ハチミネ「人って、どうして、好きになった人を嫌いになるんでしょうね?」
小夜子「・・・」
ハチミネ「小夜子さん、愛ってなんですか?」
小夜子「あんた、ばか?」
ハチミネ「・・・」
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敗戦後のセンテンススプリング社解散とくちきかん引退の記者会見シーン。記者役の俳優は客席通路から挙手し、客席で立ち上がって質問をする。舞台側には、風邪で声の出ないくちきかん、くちきのコメント代弁する司会進行、センテンススプリング社社員(そのあと社名を引き継いでいく)として、アオタ編集長、イケ先輩記者、ハチミネ記者が俯いている。菊池寛の戦時中のエッセイを引用し、記者たちはくちきかんの戦争責任を追求する。
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ノーコメントを繰り返すくちき側の対応に怒って、客席から会見者たちの近くに押し寄せる記者たち。ハチミネ記者のセンテンススプリングへの不利な発言をきっかけに、素に戻ったように振る舞い始める。え、なんだったの? じゃ、座談会やろう的な雰囲気で、あたかも、この芝居のまとめのように、自分の学年と名前を名乗り、菊池寛について自分が知っているエピソード、感想などを話し始める。
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10名の学生が話し終え、最後にマイクが回ってきたのは、くちきかん役の松田。
松田「四国学院大学四年の松田諭人です。あのぅ、すみません、この芝居始まって、今、初めてしゃべったんで、ものすごい緊張してます。えーっと、タイトルロールっていうんですか? 主人公の名前が題名になってるやつ。ハリー・ポッター、みたいな?」
(他の人々、タイトルロールの作品名をいろいろ言う)
松田「クレヨンしんちゃんみたいな? 最初に台本渡されたとき、すげーって。くちきかんじゃん、俺って。で、なんか、なんですけど、ずーっとセリフなくて、あ、ま、くちきかんだから仕方ないのかなって、あ、みんなより楽なんですけど、はい。菊池寛には実際に「くちきかん」っていうあだ名があったそうで、勝負事で負けたり、気に入らないことがったりすると、くちをきかなかったそうです。あ、汽車に乗って、入れ歯をなくして、乗ってる間じゅうずーっとしゃべんなくて、降りるときに、靴の中に入れ歯があったっていうエピソードもあったりして。はい、そんな感じで。
「文藝春秋」は、一九四五年の終戦の年にも、一月号、二月号、三月号ってがんばって出してて、さすがに四月からは出せなくって、でも、なんと、十月二十四日発売の十月号からまた出してるんですね。で、菊池寛は毎号、編集後記みたいなエッセイを連載してて、あ、そのエッセイ、戦争に負けてすぐのエッセイ、読みます」
松田、菊池寛の「其心記」を朗読し始める。松田以外の人々は、最初は聞いているが、だんだん飽きて、こそこそとカラオケに行く相談をはじめ、松田を残してカラオケボックスに行く。部屋に入る、注文を確認して注文する、歌を入れる、歌う、騒ぐなどカラオケボックスで楽しむ様子をマイムで。
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<残念ながら、クライマックスのカラオケボックスの人々と、松田の朗読の部分の写真がありません>

そして、シーン14「カラオケの片付け」へ。

【SE】カラオケボックスの電話が鳴る
カラオケに興じる学生の一人、電話に出る。
「はい・・・(みんなに)延長する? (延長しないという反応を受けて)延長しないです。はい。はい」
電話を切る。
電話に出た人「終わりー。本日終了。はい、撤収ーっ」

カラオケボックスの人々、以下のセリフを言いながら、返事をしたり、しながら椅子を片付け、シーン15の体制へ。
ハチミネ「To be or not to be. That's the question.」
イケ「なに言ってんの?」
ハチミネ「生か、死か。それが問題だ」
イケ「今、関係ないでしょ、それ」
ハチミネ「クチキか、キクチか。それが問題だ」
アオタ「それ、問題じゃないから」
  (全員総ツッコミ。)
イトウ「じゃ、芸術か、生活か。それが問題だ」
タニグチ「ゲイか、女好きか。それが問題だ」
ハシモト「純文学か、大衆文学か。それが問題だ」
ウジハラ「右翼か、左翼か。それが問題だ」
タカハシ「愛か、金か。それが問題だ」
アオタ「合理主義者か、ケチか。それが問題だ」
タケバ「努力家か、遊び人か。それが問題だ」
ウジハラ「優しいのか、冷たいのか、それが問題だ」
ニシハラ「真面目か、不真面目か。それが問題だ」
ウジハラ「デモクラシーか、ファシズムか。それが問題だ」
イトウ「好きか、嫌いか。それが問題だ」
ハチミネ「協力か、抵抗か。それが問題だ」
アオタ「善か、悪か。それが問題だ」
タカハシ「両義的か、あいまいか。それが問題だ」
ハシモト「生か、死か。それが問題だ」
クチキ「To be or not to be. That's the question.」

【SE】教会の鐘の音(死のイメージ)

鐘の音で死亡フラグが立ったところで、くちきかんの臨終シーン。終戦後、公職追放に合った菊池寛が一度倒れ、自宅で全快祝いを開催中、本人はダンスをしていて倒れてそのまま亡くなったというエピソードを再現。
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菊池寛の死後に見つかった絶筆を、周りの俳優たちが語る。
私はさせる細分無くして文名を成し、一生を大過なく暮らしました。多幸だったと思います。死去に際し、知友及び多年の読者各位に厚く御礼を申します。ただ皇国の隆昌を祈るのみ。吉月吉日 くちきかん

全員、手で顔を覆い、激しく泣き始める。顔を覆うポーズがそのまま、ダンスの最初のポーズになっていく。
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エピローグです。全員が冒頭のようにキレッキレで「恋ダンス」を踊る! 中央で亡くなっていたくちきかんも、ゆっくり立ち上がって一緒に踊る!
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<キャスト>
クチキカン、他               松田諭人
若き日のクチキカン、マスコミ1、他     竹葉香里
クチキカンの愛人・小夜子、マスコミ3、他  氏原恭子
クチキカンの妻・カネコ、マスコミ5、他   高橋なつみ

アオタ編集長、マスコミ7、他        青田夏海
女性記者イケ先輩、マスコミ9、他      池瑞樹
男性記者ハチミネ、マスコミ10、他      鉢峯輝敏

クチキカンの友人クメ、マスコミ2、他    谷口継夏
クチキカンの友人アクタガワ、マスコミ4、他  橋本潤
クチキカンの友人サノ、マスコミ6、他     西原侑呂
クチキカンの友人ナオキ、マスコミ8、他    伊藤快成
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<宣伝美術 チラシ表面>
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<宣伝美術 チラシ裏面>
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<記念Tシャツ>
題字:金城七々海  イラスト:池瑞樹  コーディネイト:山地彩
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by nabegen-usagian | 2017-02-23 16:47 | THEATRE
 SARP vol.12『くちきかん』は、菊池寛をモチーフに四国学院大学の学生のために書き下ろした現代劇である。そもそも、主人公はクチキくん。評伝劇とは言い難いうさぎ庵流のねじれた芝居なので、菊池寛をもっとよく知るためにも、菊池寛が書いた戯曲に対峙する機会があった方が良いと考え、この「菊池寛戯曲リーディング」を企画した。

 たとえば、『くちきかん』には以下のようなセリフがある。(ここだけ読むと普通の評伝劇みたいに見えるが)

アクタガワ★だってそうでしょ。クチキが新進作家として文壇的地位を確率したのは、ルミコちゃんが生まれた年だし、そのあとは、「怨讐の彼方に」でしょ?「藤十郎の恋」でしょ? いやぁ、猿之助の「父帰る」、本当によかった。

ナオキアクタガワ、おまえ、泣いてたやん。

アクタガワ泣いてないよ。

ナオキえー、泣いてたやん。

アクタガワああ、泣いたとも。まさか、クチキの芝居で泣くなんて思ってもいなかったよ。

ナオキ新聞小説「真珠夫人」の大ヒットもカネコさんのおかげやな。

カネコだから、私はなんにもしてませんって。


 せっかくの機会だから、こういう芝居の中身を知っている方がいいと思ったのである。『くちきかん』出演者は11名だったので、オーディションを受けにきてくれたすべての学生にSARP vol.12に関わってもらいたいという気持ちもあった。

 公演日程が2017年2月5日から10日の6日間だったので、以下の6作品を日替わりで上演することにした。
『藤十郎の恋』
『屋上の狂人』
『真似』
『時勢は移る』
『海の勇者』
『父帰る』
 菊池寛は多作で、そのジャンルも幅広い。『怨讐の彼方に』は諸事情で断念した。せっかく香川でパフォーミングアーツを学んでいるのだから、今後も他の戯曲リーディングや上演に挑戦してもらえたらうれしい。ちゃんと読んでみると、菊池寛はなかなかに面白いのである。


『藤十郎の恋』
1919年初演。元禄時代の実在の歌舞伎役者坂田藤十郎が主人公。芸を磨くための偽りの恋の顛末は・・・。再発見された幻の初期戯曲、小説、森田痴雪による潤色台本、潤色を元に菊池本人が再執筆した戯曲(本篇)の4種類がある。

<出演>千田萌 森田恭矢 青木奈緒 宇垣一茂 池瑞樹 野久保美紅 山内せれい 山地彩 大森那津実 竹葉香里 中村歩実 ※『藤十郎の恋』に出演予定だった青木奈緒は、健康上の理由により降板、中村歩実が代読しました。

<演出コメント>出演者も多く、今回一番手強かった戯曲。今回の稽古期間では、歌舞伎のバックステージものを演じるための引き出しのなさを克服することはできなかった。花組芝居で上演してくれないかなぁ。想像して、一人でゾクゾクしている。

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『屋上の狂人』2/6
1916年5月『新思潮』に発表、21年帝国劇場で14世守田勘弥、2世市川猿之助らが初演。人間の幸不幸を主観で捉え直そうという、菊池寛テーマ戯曲の代表作。

<出演> 池田友里 近藤丈雅 谷口継夏 山地彩 大森那津実 氏原恭子 三好樹里香 ※『屋上の狂人』に出演予定だった柿岡唯、森田恭矢は、健康上の理由により降板、代わりに氏原恭子、橋本潤が出演しました。

<演出コメント>「脚立」を使用するというワン・アイディア。高さと屋根イメージの三角ビジュアルで、作品世界への到達度がぐっと上がった。心を病んだ家族にどう対応するかという話なのに、驚くほどユーモラスでポジティブ。その前向きさと明るさが伝わるように。

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『真似』2/7
フランシスコ修道会を創設したアッシジの聖フランチェスコを題材にした作品。信仰とは?人間の欲望とは?救いとは?1924年「新潮」1月号に発表。大正期に人気のあった切支丹物の系譜の作品。

<出演>内田沙也加 青田夏海 荒川真由 高橋なつみ 白石桃菜 中村歩実

<演出コメント>外国を舞台にした宗教劇。寓話的色彩を強く打ち出し、描かれている宗教観とピュアさをカリカチュアするために、あえて、「なんちゃって人形劇」に作る。女性だけのチームだったので、とにかく、かわいらしく。

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『時勢は移る』2/8
激動の幕末、武士たちの生き方を変える流れは、ある父と子に対立をもたらし・・・。菊池寛は三幕構成で時勢の推移を描きたかったが、序幕のみを一幕物として完成させ、1922年発表。1924年上演。

<出演>内田沙也加 千田萌 近藤丈雅 橋本潤 西原侑呂 藤本紗綾

<演出コメント>バリバリの時代劇。小細工せずに、ラジオドラマのようにしっかりと読み込んでもらった。中年の年齢の役は、その年らしく演じることより、その人物の気持ち優先でつくる。難しい長ゼリフも多いが、緊張感のあるシーンもきちんと緊迫。

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『海の勇者』2/9
京都帝国大学卒業後の1916年7月『新思潮』に発表。土佐にある小さな漁村。嵐の夜、難破しそうな船の情報が入る。かつて、難破船を助けるために長兄を失くしたその家では・・・。

<出演>青木奈緒 宇垣一茂 氏原恭子 池田友里 野久保美紅 鉢峯輝敏 山内せれい

<演出コメント>長男をすでになくしている母親の悲しみと、それでも生きていくための強さは、明るさに裏打ちされている。笑いながらセリフを言ってとか、漫才みたいにやりとりして、とか演出しながら、スピーディにクライマックスの嵐に持っていく。

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『父帰る』2/10
時は明治40年頃。家族を捨てて出奔していた父が、20年ぶりに戻ってきた・・・。1917年に発表されたのち、1920年に2代目市川猿之助が演じて絶賛され、菊池寛の代表作となる。

<出演>松田諭人 伊藤快成 山川香菜 横山智恵里 白井誠也 田中千晶

<演出コメント>ご存知!父帰る、なのだが、意外とディテールは知られていない。しっかり会話をきかせるために、細かく心理描写を。そのために「家に帰る」「家から外に出る」「玄関で話す」をしっかりビジュアルで見せる。弟が帰ってくる、妹が帰ってくる、そして、20年ぶりの父親が帰ってくるという戯曲上の三段階の積み重ねを、動きつきで。結果的に6作品で一番動きのある演出になった。

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ラップ外郎売
キャストの入退場のBGMに「ラップ外郎売」(作曲・歌:高坂明生)をかける。そもそもは、渡辺源四郎商店の「オトナの高校演劇祭」のテーマソング。大学生の俳優が、菊池寛の古典戯曲に取り組む企画なのでぴったりだと思ったのだ。ト書きを読む俳優が「幕」と言った途端に、この音楽が入る。ぬるぬるしないで、さくっとおじぎをして、スタスタ退場する。良い。ノトススタジオに毎日アキオの歌が流れている、というのも、ちょっと不思議で、良い。
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by nabegen-usagian | 2017-02-13 02:47 | THEATRE
 ラフカット2015『終電座』のテクリハのとき、ラフカット2015『愚かなる人』(作・演出:太田善也)に出演していた宍戸レオナさんが撮影してくださった舞台写真をアップします。とても貴重な写真です。宍戸レオナさん、本当にありがとうございました。
(禁・無断転載)

『終電座』
原 案:谷山浩子
脚本・演出:工藤千夏
出演:アラキマキヒコ・小西 智・小林 篤・サエト・西内琢馬・橋本 遊・松尾 拓・鈴木麗加・裕野・天明留理子・中込里菜・宮山知衣・森田咲子
声の出演:大谷典之
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by nabegen-usagian | 2015-07-04 17:26 | THEATRE

よみちにひはくれない

※ブログ「うさぎ観察日誌」こちらに移します。

「老いと演劇」OiBokkeShi第1回公演『よみちにひはくれない』
作・演出:菅原直樹
2015年3月29日14時@岡山県分和気町駅前商店街

  青年団の俳優、菅原直樹くんが岡山県に引っ越して介護士になったのは聞いていた。私にとっては、初演『もう風も吹かない』のキノコ隊員。底なしの優しさと底知れぬ怪しさが共存する、不思議な役者である。昨年は、介護と演劇の相性の良さを実感して始めたという「老いと演劇のワークショップ」に参加し、介護職員としての積み重ねが、彼を演劇人としても大きく成長させていることを目の当たりにした。そんな彼が芝居をやると言う。実在の商店街を舞台にした「認知症徘徊演劇」だと言う。借景芝居を提唱する私としては、これはもう行くしかない。
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 岡山県和気町の駅前。元々は銀行だったという風情のある建物を観光協会が使っていて、そこが集合場所であり、受付である。そうそう、もう壊されてしまったが、青森市本町のみちのく銀行の建物、いいなぁ、いいなぁって思っていたのだったっけ。
 それはともかく、看板がかわいい。
 そして、この駅前の広場。少し早く着いた私は、いきなり準備に来た菅原くんと「おかじい」こと岡田忠雄さんにお会いした場所である。なんだかもう、そこから芝居が始まっているみたいだった。この写真は芝居が始まってからのものだが、本当に二人はこんな感じで立っていたのだ。
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 神崎という役を演じている菅原くんは、おかじいと別れてどんどん歩いていく。観客である我々は、彼の後を追う。さびれた商店街と書くのは抵抗があるのだけれど、かつて繁栄していたであろう、繁栄の名残しかない商店街を歩いていると、私はいったい日本のどこを歩いているのか、いつの時代を歩いているのか、なんだかどんどん迷子になっていく。
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 二十年ぶりに故郷を訪れて町を歩く神崎を追いながら、町を抜け、河川敷に行く。観客が追っているのは、神崎ではなく、神崎が追い求める幻の故郷なのだろうか。この地に思い出のない私が、変わってしまった故郷に対する神崎の寂しさをいつのまにか共有している。
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 欲を言えば、今回のバージョンは「認知症徘徊演劇」よりも「幻のふるさと散策演劇」の様相が濃かった。今、菅原くんが考えていることを、菅原くんとおかじいの二人がいるからこそできる「認知症徘徊演劇」が観たい。うさぎ庵の借景芝居とはひと味もふた味も違った、「老いと演劇」OiBokkeShiならではの世界を観るために、きっと私はまた和気町に行く。


おまけ
圧巻! 神崎は探している黄色い服のおばあさんを見つけ、橋の上まで走っていく。河川敷に残された観客は、演劇体験としてはあり得ないロングショットで二人を見つめる他ない。
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ロビーとなっている中国銀行跡地。奥の金庫、わかりますか?
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商店街のお店が店先に「応援しています!」メッセージボード。今、そこで暮らす人々がいるのだということを暖かく感じさせてくれる。
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雨天中止のこの演劇。私が伺った日の天気予報は、曇りときどき雨。でも、「おかじい」てるてる坊主が、見事に晴れを呼びました。
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おかじいこと岡田忠雄氏とと記念写真。なべげんの宮さんこと宮越昭司と同い年かと。また、お会いしましょう!!! おつかれさまでした。
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by nabegen-usagian | 2015-04-03 14:15 | THEATRE

劇作家・うさぎ庵主宰・渡辺源四郎商店ドラマターグ工藤千夏のブログです。


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